放浪記

過去が消えていくなら、俺はせめて明日が欲しい。だから足掻き続けてるんだよ。

22歳になりました

結局いろいろあって記事書く時間がありませんでした。ポケモンの構築記事とか書こうと思ってたんですけど、大した順位も取れず、しかも特に代わり映えのしない構築だったので断念しておりました。最近そもそもやってない

 

本題はタイトル通りでして、22歳になり申した。まだ若いのか年取ったのかよくわからない年齢ですね。

僕が22歳になったということは、今日内田真礼さんは32歳になったということですね。時代の流れを感じますね。

 

 

大学も卒業するということで、軽く人生でも振り返ってみようと思います。

 

僕が所謂オタクになったのは、小6の頃だったと思います。

当時から仮面ライダーが好きで、今でも一番好きな映画「仮面ライダーW FOREVER AtoZ/運命のガイアメモリ」のMAD動画を見ていた時、それに使われていた曲が、「only my railgun」でして、この曲かっけえなってなって、詳細調べて「とある魔術の禁書目録」に行きつき、ラノベ1巻を読み始め、気づいたらオタクでした。

 

深夜アニメで初めて見たのは「中二病でも恋がしたい!」だった気がします。

当時は気づいてなかったけど、今思い返すと確実に小鳥遊六花ガチ恋してました。最初好きだった声優が内田真礼だったのもここからきてるんだと思います。

 

中学時代の3年間は、いい意味でも悪い意味でもここからの僕の人生のレールを作り上げた期間だったと思います。

 

2012年はニコニコばっかり見てました。ボカロと東方の曲を無限ループしてた記憶があります。

 

そして2013年、伝説の作品「ラブライブ!」の1期が放送されました。

最初は話題になってるから見るかーくらいだったんですけど、知らないうちにどちゃくそにハマって、2期が始まる頃には完全にラブライバーでした。

完全に厄介オタクとなった僕は、LINEのTLをTwitterのように使い暴れ、ことあるごとに友達にはラブライブ!を見ろと言っていた気がします。今思い返すとガチで死にたいです。

当時付き合ってた女の子がラブライバー小泉花陽推しだったのですが、そのせいで「孤独なHeaven」聴くと今でも涙腺緩みます。

 

2014年のラ!2期終了頃から、Twitterでは団体ブームみたいなのがありまして、ラ!の団体も数多くあったわけですが、その中のLoving団という団に入っていました。別に何か活動してるわけではなかったけど、1000人くらいいた気がするので結構高規模だったんじゃないですかね。

それに所属してたかは覚えてないんですが、Twitterで知り合ったラブライバーにさわゆうという男がいまして、彼はツイキャスをしていたのですが、僕がなんとなく彼のツイキャスにコメントした時、初見の僕にちんちんってリプ飛ばしてきた輩がおりまして、それが当時のれっきーでした。彼は当時からこんな人です。(実際一番やばい人間はさわゆうだったんですが、彼のやばさは言葉では表せないので割愛します)

その後なんやかんやあって、ツイキャスで出会った人たちと絡んで、定期的にツイキャスしてたりしてあの頃は結構楽しかったですね。今でもFFだったりする人もいるので結構長い付き合いだなーとか思ってる。

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時間は飛んで、高3の春休みくらいにVtuberというものが登場し始めて、大学までの3か月くらい暇だったんで一生見てました。当時はミライアカリ、輝夜月とかを見てました。にじさんじも2期生くらいまでは追ってたんですが、いきなり人が増えすぎて見なくなりました。

その後見てたのがゲーム部でした。ゲーム部に影響されてUSUMの実況者見始めて、剣盾からは対戦復帰しようって思うきっかけでもありましたね。

 

そして例の事件からゲーム部も見なくなった後に出会ったのがホロライブでした。確か3期生デビュー直後とかだった気がします。当時は白上フブキ、赤井はあと当時ははあちゃまではないあたりを見てたんですが、切り抜きで潤羽るしあを見た時に、ビジュアルと声が好きすぎてそこからはるしあ推しを自称してました彼女も当初は本物の清楚だったんです。

後は湊あくあも好きでした。僕を鏡に映したかのような陰キャで、割と同族嫌悪が激しい僕がなぜ彼女に惹かれたのかは今でもわかりません。人間は似たようなものを求める本能なのでしょうか。

そして紆余曲折ありまして結論は箱推し気味ですね。グループ系って一人見始めると芋づる式にいろんな人見始めるんで完全に沼だと思います。

最近だとラプラス・ダークネスがイチオシですね。スタイルがニコ生に似てるんで当時のニコ厨は好きになれるんじゃないでしょうか。

 

 

結局は自分語りでしたが、自分を振り返るいい機会だったと思います。

 

数少ない友人たちよ、2022年、そしてその先もどうぞよろしくお願いします。